2015年8月7日金曜日

シロスギ 白杉


ヒノキ科、スギ属
学名:Cryptomeria japonica D.Don var. radicans Nakai
別名:アシウスギ(芦生杉)
芦生は京都府内の日本海に近い地名で、京都大学の芦生研究林というのもあります
シロスギは吉野杉を代表とする太平洋側の『表スギ』に対して、日本海側に自生するもので『裏スギ』と呼ばれます
秋田杉もシロスギの一種です
2014年4月13日、京都府精華町・けいはんな記念公園

北山杉、台杉に付いて他のサイト(洛西自動車「北山杉」)からコピーしました
「北山杉は京都府指定の木であり、京都市内を北へ2km、北山高雄で生産されている。
高雄は、年間を通して気温が冷涼で、暑い夏の日でもさわやかな谷風がわたり、冬は冷たい北山時雨がみまう日々が続く。
そんな、清滝川の清流にせまる谷間の湿り気の多い空気が、北山杉を育てるのにこのうえない条件となっている。
北山杉は杉磨丸太を生産目標に、垂木台杉仕立と一代限り高林仕立の両作業法が行われている。
一代限り高林仕立は皆伐高林作業のことで、25~40年生ぐらいで一斉に伐倒し、末口直径9~16cmの床柱を生産する。
一方、台杉仕立は「北山のシンボル」ともいわれ、森林の狭さを補うために北山人が編み出した恒続的な造林方法で、生産財の用途を数奇屋建築用細丸太に限定したことも幸いし、独特な形で発展した。
しかし第二次大戦後、防火建築法のあおりを受けて垂木の売れ行きが急減したため、垂木生産に見切りをつけ、台杉仕立は大幅に減少し、一代限り丸太仕立が多くなっている。」

「台杉はもともと、森林が狭いという北山高雄のきびしい自然条件を背景に、「苗の不足を解決する一方法」として考え出された。
その起こりは西暦1200年頃、室町時代中期といわれ、北山垂木材を使用している古建築物に、修学院離宮の窮邃軒、隣雲亭、寿月観亭、島原の角屋、黄梅院の咋夢軒などがある。
台杉仕立の方法は、まず植付けて5~6年目に最初の枝打ちを行う。
その時、裾の方の枝を幹の周囲に残し、それから上の枝は梢頭部にわずかに残すのみで、大部分は打ち落とす。
第二回以降の枝打ちは、上部の成長した部分を隔年に行い、適寸(末口径3~4cm)に達した時に、裾のわずか上から伐採する。
第一回の伐採後は、「取り木」が直立する枝の中から成長にすぐれるもの2~3本を次代木として育て、適寸に達したものから順次伐採すると共に、次々に後継樹を育成していく。
こうして100~200年にわたってこの方法をくり返し、株杉の樹勢が衰えるまで(200~300年)育成する。
しかし、時代の変遷とともに建築様式が変革したことと、防火建築法の制約をうけ、台杉仕立は年々減少の一途をたどり、現在は全盛期の三分の一以下に激減した。
そして現在は、その細い優美な容姿からもっぱら庭園観賞用とされている。
観賞用台杉はシロスギという品種が用いられている。
シロスギはその地質適用性の良さと「取り木」の保持力の強さ、また実がならないため花粉の心配もないという、観賞にうってつけの特性を持っている。
また、和、洋を問わず学校やゴルフ場など様々なところに用いられている。」

下の写真が台杉(観賞用)です
2015年4月26日、桜井市・長谷寺

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