2017年9月3日日曜日

サツキ・護美錦 ごびにしき

ツツジ科、ツツジ属
2017年5月28日、大阪市・咲くやこの花館
 
 
さくら市のホームページから
「喜連川藩10代煕氏(ひろうじ)には、後継ぎの男子がいませんでした。そこで九州の熊本の細川家から9歳の良之助を養子に迎え、喜連川藩を継いでもらおうとしました。そして嘉永3年(1850年)に熊本から良之助が喜連川にやってきました。
 良之助を迎えた時、細川家からの贈り物の中に見事なサツキの花がありました。煕氏はたいそう喜び、大切にするあまり「この花に触れる者は断罪に処す」とお触れを出したので、いつしかその花を「ダンザイ」と呼ぶようになりました。
 残念ながら良之助は病で喜連川の地を離れてしまいましたが、幕末から明治にかけて「長岡護美(ながおか もりよし)」という名前で公武合体運動や政治家として活躍しました。また、後年になっても、喜連川の人々とも交流が続いたことから、「ダンザイ」と呼ばれていたサツキは護美の名前をとって「護美錦(ごびにしき)」と呼ばれ、現代まで大切に育てられています。
【うんちく】
 実は、この長岡護美、喜連川にいたときは「紀氏(のりうじ)」と名乗っており、「護美」の名前で喜連川藩を治めることもなく、紆余曲折の末、生まれ故郷の肥後国に帰りました。そしてその後に護美と改名しました。
 つまり、護美と名乗っていないながら、縁のあるサツキは「紀氏錦」でなく「護美錦」として、旧喜連川町の町花になりました。
 そんな護美が明治時代に喜連川の秋元家に対して送った書が指定文化財として残っています。喜連川を去っても、親しい関係が続いたことから生まれた名前とも考えられます。」
 
 
シャクナゲ・スプリング・タイムです
 
 
 

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